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熊本地方裁判所 昭和34年(む)37号 判決

被疑者 山口亀鶴

決  定

(被疑者氏名略)

右の者に対する背任被疑事件につき、熊本地方裁判所裁判官佐藤均が昭和三十四年一月九日にした勾留の裁判及び同月十七日にした勾留期間延長の裁判に対して、弁護人本田義男から準抗告の申立があつたので当裁判所は次の通り決定する。

主文

本件準抗告はこれを棄却する。

理由

一、本件準抗告申立の理由の要旨。

(一)  本件被疑者に対する背任被疑事件につき昭和三十四年一月九日熊本地方裁判所佐藤均裁判官は勾留状を発布し、同日その執行がなされたが、右勾留は次の理由により違法であるからその取消を求める。

(イ)  本件勾留状は「被疑者は熊本県出納長と共謀の上、被疑者が社長である株式会社太洋の利益を図り同会社他二社に金融を得せしめる目的で昭和二十九年二月より昭和三十三年十二月までの間、熊本県の歳計金から肥後相互銀行及び熊本相互銀行に対しそれぞれ金額四千万円乃至五百万円のもの二十九口の通知預金をなした上、出納長の任務に背き同預金を見合として前記三社に対して融資をなさしめ、因つて夫々同歳計金の操作を困難ならしめて熊本県に対し財産上の損害を加えた」との被疑事実に基き発せられたものである。しかし乍ら通知預金なるものは預入れの日より三日間に限り銀行はその払戻請求に応じないという条件が附せられただけのものであつてその期間経過後は普通預金と何ら異るところがなく県は何時でも無条件にその払戻の請求をすることができ、又銀行はその払戻の請求に応ずるのである。従つて通知預金を見合として前記三社に貸付をしたというだけでは、その為前記両銀行が熊本県の預金払戻請求を拒絶した事実がない以上歳計金の操作を困難ならしめ県に財産上の損害を加えたことにはならない。それ故本件被疑事実は背任罪の構成要件を欠くものでかゝる事実に基く勾留状は違法である。

(ロ)  本件勾留は罪証隠滅の疑いがあることをその理由としているが、被疑者の逮捕前である本年一月六日早朝に熊本県庁、肥後、熊本両相互銀行、株式会社太洋他二社、並びに県出納長、会計課長、同補佐、前記三会社の重役及びその近親者等の各私宅まで捜索差押をうけ書類帳簿等その殆んど全部を押収された。従つて罪証と称するものはすべて検察官の手中にあり、もはや隠滅すべき何ものもない。同時に逮捕された熊本相互銀行の専務取締役中島一郎は既に取調も完了し釈放され、また肥後相互銀行の専務取締役井竿節三の取調も既に終了しており、これらの事実と被疑事実の態様を以てすれば罪証を隠滅すると疑うに足る余地は全然ない。従つて罪証隠滅の疑いがあるとしてなされた本件勾留状の発布は違法である。

(二)  右被疑事件につき同月十七日、前記佐藤均裁判官は被疑者の勾留期間を更に十日間延長する旨の裁判をしたが、これは仮に勾留状の発布自体は有効であるとしても前述の如く人証、物証の取調を既に終了している現在では、もはや不必要の措置というべく、これ以上の身柄拘束は被疑者に供述を強いる以外の何ものでもない。従つて前記裁判官が検察官の本件勾留期間延長の請求を許容してその延長決定をしたのは不当であるのでその取消を求める。

二、当裁判所の判断。

(一)  一件記録によれば被疑者は背任被疑事件により本年一月七日逮捕状を執行され、引き続き同月九日勾留処分に附され、更に一月十七日、十日間の勾留延長の処分がなされたことが明らかである。

ところで本件準抗告申立の理由の第一点は、本件勾留は事実において背任罪の構成要件たる財産上の損害の発生を欠くものにして罪とならない事実に基くものであるというのであるが、刑事訴訟法第二百七条第一項第六十四条第一項に勾留状には被疑事実の要旨を記載すれば足るとされているのであるから損害の態様、数額等につき特定且つ具体的でない点があつて、比較的抽象的であるとしても本件勾留状はその記載において欠けるところはなく、結局右は嫌疑のないことを理由とする主張に帰するから同法第四百二十九条第二項によつて準用される同法第四百二十条第三項に抵触し、その主張自体適法な抗告理由とならない。

(二)  次に申立理由の第二点は、本件勾留は罪証隠滅の疑いがなく、従つて勾留の理由を欠くのになされた違法なものであるというのであるが、一件記録を精査するに、本件の如き複雑且つ微妙な事案においては証拠物等をかなり広範に押収したからといつてそれだけで証拠を隠滅すると疑うに足りる相当な理由がなくなつたものとはいえない。当然に被疑者、参考人等多数の取調やその他の捜査の進行が予想されその為に被疑者を勾留することも必要である。従つて裁判官が検察官の勾留請求を容れ被疑者に対して勾留状を発布したのはまことに相当である。

(三)  申立理由の第三点は、本件についてはもはやその取調も終了したので勾留期間を延長する必要がないというのであるが本件においては物証は多岐をきわめおり事案は複雑且つ微妙にして被疑者の社会的地位及び被害の性質程度等から更に多数の関係人及び参考人等の人証を必要とすることも当然予想せられるところでありその為被疑者自身に対する取調が継続してなされないことがあつたとしてもそれだけで弁護人主張の如く本件に関する取調が完了したといえないのは勿論現在も引続き参考人の取調物証の集取等が行われていることから見れば被疑者を隔離しての捜査はなお必要と思われるので本件勾留期間延長の裁判はまことに已むを得ないものといわねばならない。

よつて、弁護人の本件準抗告の申立は理由がないので棄却することゝし刑事訴訟法第四百三十二条、第四百二十六条第一項に従い主文の通り決定する。

(裁判官 渡辺利通 松下才作 成瀬和敏)

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